ひむろ雄一郎(プロフィール)

 

少年時代

剣道少年昭和24年に宇土郡三角町に生まれた「ひむろ」は、小学校4年生のとき 剣道を習い始め中学時代には県中学校剣道大会で団体優勝を果たすまでに。更に宇土高校に進学して副キャプテンとして剣道に情熱をそそぐ。その後東京の法政大学に進学する。少年時代は体も弱く、剣道の指導をされていた先生に「剣道をすれば健康になる」とさそわれ、以来猛稽古で訓練を受け、健康になりました。小学校・中学校・宇土高校と、生まれが宇城市の三角町の戸馳島の生まれで、当時はいまの橋がなく、船で通学しました。朝は日が昇る前から船に乗り、通学をし、帰りは夜遅くかえる剣道に明け暮れた少年時代でした。今の子供さんたちのように自由はなく規律の厳しい生活を送ったような気がしております。それが現在の私の精神構造を形成したものと信じております。今でも生まれ育った三角町が一番懐かしく親しみを持てる町であります。ときどき墓がありますので、三角町に足を運んでおります。同郷の皆様の応援が一番であるとおもって感謝しております。

大学時代

新聞配達一念発起。向学心に燃えた「ひむろ」少年は 勉強に励み見事法政大学に合格。4年間の学費と生活費を自ら捻出するために新聞奨学生になり 在学中は新聞販売店に住み込んで頑張り続けた。忍耐強さと粘り強さはこのときに培われたもの。学生時代は毎日新聞を約300部、朝は毎日3時半におきて朝刊を配達。その後大学へ行き学習。夕方は4時頃から夕刊の配達。土曜・日曜は集金に駆け回る日々で、まさしく「地獄の四年間」でした。同期の友人はほとんど途中で挫折をして去っていきました。余りの苦しさに熊本の方向を眺めて涙を流した日もありました。雪の日も、嵐の日も、高熱のある病の日も、一日も休まず配達に明け暮れた日々でした。仕送りは一切受けず、まさに「苦学生」の時を送りました。この時代の精神力で、いまはどんな苦しい時でも、あの学生時代の苦労に比べれば、何も苦しいものはないといえる強靭な精神が身についたものと考えております。今でも上京する機会がありますが、当時の販売店に立ち寄りお世話になった店主・奥様にお会いするのが楽しみです。どうか現在、金銭的な問題で大学への進学を諦めかけている諸君は、新聞配達・新聞奨学生へ挑戦をしてみてはどうでしょうか。二度とは来ない青春を自分の力で切り開いてください。現在は当時の新聞配達少年のイメージとは違い、部屋も「タコ部屋」みたいな環境ではなく、個室が与えられており生活をおくるにはとても良い条件が整えられております。「少年よ大志を抱け」の言葉を胸に飛び込む勇気をもって下さい。家庭状況が進学という夢を許さない県下の高校生の皆様、頑張って下さい。

教員時代

高校の教師郷土熊本に帰った「氷室雄一郎」は熊本県立高校の教員試験に見事合格。初任は熊本工業高校に勤務。在職時代に剣道部の監督を務め、来る日も来る日も生徒とともに剣道に励み、弱かった熊本工業高校の剣道部を市内大会優勝に導き、熊工の剣道の黄金時代をつくりました。その頃現在の熊本の剣道王国を築いている阿蘇高校などが練習試合に、よく熊工にきた時もありました。熊工の後は天草の松島商業高校に赴任しました。この学校は女性が多く、剣道部がなく、仕方がないので、「卓球部」の顧問となり、毎日生徒とともに狭い農協の一室をかりて練習に励みました。当時は姫戸中学が全国的に活躍した時代で、その生徒が松島商業高校に進学して、そのまま頑張っており、県下のあらゆる大会で松島商業高校は活躍した懐かしい時代でありました。生徒のおかげで、全国大会まで参加し、生徒とともに喜びの涙を何回も流し、教師生活で忘れられない思い出となっております。その後、天草の純粋な生徒が涙をながしながら見送る光景をあとに、御船高校に赴任しました。ここではハンドボール部の監督として弱いチームでしたが、あらゆる所で生徒の生活態度の改善と育成に努めました。その後は松橋高校に赴任。ここでは「剣道部」の監督として、生徒とともに汗をながしました。最後の高校は市内の熊本商業高校に赴任し、この学校では、剣道部は名監督の今村先生がおられました。私は、生徒指導と進学指導に情熱を傾け、大学進学に向かう生徒にたいして、様々な対応をおこない、生徒の進路保障に頑張ってたと自負しております。平成10に退職し、県議会議員に初当選をさせて頂きました。多くの教え子の皆様の声を胸に頑張っていく決意と情熱は今でも抱き続けております。 まさに今後は青少年の育成と教育に情熱を傾け続けた25年間の教師生活を糧に県政の発展。

そして今・・・

高校の教師熊本の未来を担う青少年の育成に情熱を傾け、新しい時代と 新しい政治を 新しい力で築くことのできる議員ととして現在県議会にて奮闘中!平成10年12月高校教師を辞めて、平成11年の4月熊本県議会議員に初当選。現在2期目です。これまでの教職経験を生かし、県下に将来を背負う青少年のために何ができるのか模索の日々ですが、少しでも恩返しが出来る様にと心がけて行動しておりますが、皆様の日々のご指導と激励を願うばかりです。いつも多くの教え子の皆様の顔を胸に浮かべながら、楽しい教師生活の中で出会った生徒の皆様の社会での活躍と、ご健勝をいのりつつ、これからの議員生活を充実あるものにしてまいる決意であります。最近は、教え子も社会の中核として活躍し、結婚の適齢期を迎える年齢になり、しばしば教え子の結婚式に招待を受けております。スピーチも求められますが、とても嬉しく思いつつ、当時の童顔の生徒の皆様が、新しい人生の出発に際して、幸福な生活が遅れるよう、祈る気持ちで、スピーチをさせて頂いております。幸多い人生のスタートができることが結婚の意義でもあり、一代イベントでありますが、ともあれ教え子の皆様の成長が第一番であると考える昨今です。

将来の夢にに向かって・・・

高校の教師熊本県議会議員に初当選させて頂いて、はやくも七年が終わり、最後の一年も後半となり、来年は改選の時期を迎えます。「これから将来の希望・夢についてはとどの様にかんがえていますか」と他人から尋ねられる機会もありますが、まずは献身的に支援をして下さった皆様の心をいつも忘れず、自分に与えられた分野で誠心誠意努力をつづけていく決意を、最初にお伝えしております。政治の世界ではまだ駆け出しで、素人ですが、これから日々勉強を重ね、経験を積むことが大事であると考えております。議員の中には、何十年も議員として活動されている方々も多くおられますが、経験も大事な場合もありますが、どれだけ自己啓発を図り、選んで下さった皆様・支援をして頂いた皆様の思いをどれだけ大事に出来るか。この一点を忘れず向上心を捨てずに日夜精進することが一番大事なことと、いつも言い聞かせております。この気持ちを失わずどれだけ頑張れるかが私の夢であります。肉体的には、老いていきますが、精神を若々しく健康で皆様のためになる活動は何かを考えて日々前進することが私の現在の希望・夢であると思っております。漠然として、捕らえどころのない答えですが、今の心境をお伝えいたしたいと考えております。

現在の活動について・・・

高校の教師私は県議になる前は、二十四年間熊本県立高校の教諭として、教育現場で情熱をもって生徒とともに頑張っておりました。その後、平成十一年に県議会議員として初当選させて頂きました。教師時代は朝早くから進学課外、また剣道部の顧問として夜遅くまで、それこそ一日中、自分の時間もなく懸命に働き続けてまいりました。まだ週休二日制が定着している時期ではなく、休みもなく活動をし、日曜日も剣道部の練習に励んだ記憶がいまも鮮やかに蘇ってきます。県会議員になってからは、定期的な議会開会期間以外は自己の管理のもとで生活をしなければならず、自己管理に大変苦労をしております。「これだけやったから、これでよし」という到達点もなく、何をどのように努力をすればいいのか際限はなく、それこそ自分の努力は無限大であります。四年に一回、県民の皆様に選挙で選んで頂く身であり、選挙で当選させて頂くために四年間、ひたすら駆け巡るのが議員の宿命ではないかとも感じてております。現在は自己を律するために、時間を定めて規律ある生活を心がけておりますが、時ならず携帯電話で様々な質問も受ける機会も多くなり、相談や指導を受ける方々の幅も一段と広まった感じです。議員ですが、行政全般にわたる知識を持ち合わせている訳でもありませんので、わからない専門的な知識や情報は、行政の専門的な知識を有しておられる方々に一つ一つお尋ねし、教えてもらうことも多々あり、行政マンの知識の豊富さに感心することもたびたびあります。教師の時代は自分の専門的な知識の深化に努めることが常に求められておりましたが、議員は、幅広く様々な知識が求められ、常日頃の研鑽が一番必要であると痛感しております。先輩議員の中には、大変な知識と情報を有しておられる方もおられ、いつも参考にさせて頂いております。議員としては、経験も必要であるとは考えますが、まずは、日頃からの自己啓発が一番大事なことである気がしております。今出来ることとして、私は、身近な課題にたいしては、メモ帳に筆記して、記録にのこし、問われた時にいつでも答えが出せるよう努力を続けております。まだまだ先輩議員のようにはいきませんが、今後とも自己啓発に努め県民の皆様のために働ける議員を目指して頑張る決意でおります。私の議会活動の一端として、毎日ブログを打ち続けております。その中で簡単に議会活動を紹介させて頂いております。インターネットを開いて頂き、●○◎ 漢字で「熊本県議会議員・氷室雄一郎」で「検索」して頂ければ内容は見れますので時にはインターネットを開いてくださいませ。